相変わらず自分の不器用なところは全然治らなくて,ここのところバタバタしていて仕事をしたりしなかったり辞めたり始めたり行ったり行った先で追い返されたりSNSアカウントを消したり作ったりしていました.
で,最近大事だなと思ったこと.
- 他人は頼る瞬間に頼ること.今の5倍くらいはやらないといけない.
- 自信を失わないこと.どれだけ無駄足でも無駄足じゃなくなる時がくる.
- 自分に足りないものを当てる勘は割と合っているので信じて動き続けること
- やることをやればどんな簡単なことでも感謝されそこに有意義な経験が生み落とされる
- 特に仕事においては簡単なことも難しいこともものの本質は同じである
- が,理解力と冷静さと言語化能力が高ければ高いほど幅が効くというだけ
- 好奇心は必要なことをやりやすくするための道具として非常に強力である
- 一方で,やるべきことをやるための道具でしかなく優先度は原則的に常に二番である
- これが逆転していると幸せになれるが,意図してこの状況を実現するには何年もかかる
- 何かを向上させるにはヒント探しと違和感探しのようなフィードバックが大事である
- ここは感覚と試行回数でも代替できるができるだけ言語化することが望ましい
- ものができるようになる過程のエビデンスが残る為,あと脳の回路が鍛えられる為
- 脳の回路を鍛えるのは筋肉と同じで,続けるとカロリー消費の際に疲労しにくく洗練されてくる
- 好きなことをやると何がどこかの誰かにとって喜びであるかが自然と分かる
- 感覚で好きになっても理屈が身体のどこかで分かってないと身にはつかない
- 誰に何が最後に伝わればいいかを意識してコミュニケーションする
- 言われたことを忠実に記憶してやることに意識の全てを持っていかれてはいけない
- 背景や周りの人の情報共有の状況,遂行すると何が嬉しいのかまで頭に入らないと本質は見えない
最後の方とかは特に最近思うのですが,おそらくここ数年一人で頭の限界に挑んでいるばかりで全く末端をなんとかやりきれるかどうかしか意識が割けておらず,歯が立たなかったように思います.それは今でもかもしれませんが,実際には難しいことを覚えることは仕事を覚えることの3割くらいでしかなく,その背景が残りの7割を占めているような気がするのです.そうすると専門職を極めていきたいというようなモチベーションの自我から,あえて意識の外にいる人たちを眺めた時,全くこういうことを考えない人たちがどのように,なぜ楽しそうに,ある意味割り切って仕事をしているのか,それは営みのためである,ということが見えてきました.私と私の周りの人達のために幸せになる,ただそれだけであるというような図式が見えてきて,ある種人間の根源に回帰しているような感じがするのです.
ろくに仕事もできないくせに何を言ってるんだと知り合いから罵られそうですが,ここにたどり着きたくてやってきた部分がありますし,もしかするともっと簡単な仕事をたくさんしたり色々な人と話して何か大事な共通点を見出したりすることがもっとできれば,もっとこのあたりの確信が洗練されていくような気はするので,人が苦手なりにもどうにかやりくりしてやりたいなと思います.